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2003年7月
「これから」 

 ブラジル遠征組の皆さん、大変おつかれさまでした。結果しか聞いていないのですが、良い経験になったことと思います。帰ってきたらいろんな話を聞かせて下さい。世界で勝つために何が必要か、皆さんの頭にはいろんな考えが駆けめぐっているころでしょう。私も立場は同じです。競い合って世界を獲りましょう。
 怪我が癒えたら、心・技・体をまた見つめ直し、再出発していこうと思っています。(楽しみだぜ)新しい技もまたいくつか考えてますので、皆さんもお楽しみに。

今日の アルバム(改題しました)
「 スリーピング ジプシー / マイケル・フランクス」(ワーナー)
 
曲良し、演奏良しの名盤。サンボーンのアルトとウィルトン・フェルダーのベースがたまらん

7月28日(月) 中井祐樹


「故郷・浜益村」 

 相変わらずリハビリ中です。治り具合は順調であと1ヶ月位かなと思っています。前回ブラジルを「第2の故郷」なんて言い過ぎてしまったのですが、私の本当の故郷を紹介したいと思います。(地図帳をご用意ください!)北海道浜益(はまます)郡浜益村といいます。札幌から車で北上し1時間半ほど、確かバスが出てて2時間くらいのところです。なんといってものどかな自然が売りです。というわけで食べ物もメチャおいしいぞ! 今の時期は海水浴シーズンでとてもにぎわっていることでしょう。ウニ丼とか海産物いっぱいの浜ラーメンとか食べてみて! ついでに「以前、新聞店だった中井さんの家はどこ?」なんて人に聞いて行ってみて! 温泉もあるよ!!

参考URL http://www.vill.hamamasu.hokkaido.jp/

今日の B G M
「 ブラウニー・ライヴス! / クリフォード・ブラウン 」
 (SOUND HILLS)
 一番好きなJAZZトランペッター。たぶん最近出たこの未発表ライヴは音悪いけど貴重だ。

7月23日(水) 中井祐樹


「ムンジアルに行かない夏」 

 この時期に日本にいるなんて不思議なものである。ブラジルには過去8度遠征した。もう第二の故郷みたいなものだ。今一度これまでを振り返ってみたい。

97年7月― 初のブラジルは一人で。大会前にいろんな道場に「タタミ」誌のマルセーロ・アロンソ氏に連れてってもらい、気張って汗を流した。計量前日の練習はイパネマのアリアンスにて。レオジーニョとやった日だ。(この日の模様(ヘロヘロな自分)が後日ビデオになった!)紫帯ペナ級でエイトどまり。アドバンテージというルールがはじまって戸惑う。全盛期のホイラー・グレイシーの素晴らしさが際立っていた。

97年10月― ブラジレイロ、紫帯レーヴィ級3位。ノヴァ・ウニオンのボイコットがあった大会。ドージョー柔術(当時)のアロイジオ先生とレカ・ヴィエイラにお世話になった。

98年10月― ブラジレイロ、茶帯ペナ級2回戦敗退。ホドリーゴ・フェイジョン(ノヴァ・ウニオン)に0-2で敗れる。(フェイジョンはのちにマーシオ・フェイトーザを破り、ブラジレイロ黒レーヴィをとることに。)ドージョー柔術とデラヒーバ先生にお世話になった。高倉祐二さんとBIG渡邊秀一が同行してくれた。

99年7月― 黒帯に昇段し初のムンジアル。ホビーニョのかつてのライバル、フレジソン・アウベス(グレイシー・ウマイタ)に2-4で敗れる。このあたりから塩田歩、北岡悟(現パンクラス)ら日本人の参加者がグンと増えてきた。カーロス・グレイシーJr.国際連盟会長より日本連盟を任されることに。

99年10月― ブラジレイロ黒帯ペナ級3位。この遠征も一人だった。僕はブラジレイロに相性がいい!? 

00年7月― 01年7月― 02年7月―
この3大会は非常に良くない内容だった記憶がある。しかし来年は全て帳消しにするから見ててください。

今日の B G M
「 PRIVATE CASSETTE / 山口冨士夫 」
 こういうブルースって良いなぁ…

7月18日(金) 中井祐樹


「初回のあいさつ」

 初回のコラムである。自分の言いたい事はクラスの中で、あるいは普段何気なく話しているつもりなので、改めて文章にしようとすると筆が止まってしまう。そういえば、小学校の時からそうだったけな…「作文」は本当に苦手だった。インタビューなんかだと物凄い分量の話をしてしまうんだが。(ときおり雑誌などで私の登場が前・後編に分かれるのはそのため。)まぁ、思いつくままにこれから書いていくので、気長にお付き合い下さい。
 全然コラムじゃなかったね。じゃ、また!!

7月14日(月) 中井祐樹

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