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08.「中井祐樹 インタビュー」

 1994年 格闘技通信 掲載
 若林太郎 記名原稿

 中井さんは大学時代に柔道部だったんですよね。

中井 ええ。高校ではレスリング部だったんですけどね。実は大学に入ったら、極真をやろうと思っていたんですよ。もう寝技はいいから打撃をやろうと。ところが北大に入学して、ふと読んだ柔道部の紹介文に「普通の柔道とは違う」的なことが書いてあるんですよ。それでああ、これ見ておきたいなと思って見学に行ったんですよ。そしたら友達で柔道2段の奴がすでに入部してて、そいつが関節を極められまくってるんですよ。これは凄いぞと思って、その場で入部しちゃったんです。

 中井選手が入部した北大柔道部は、高専柔道の流れを引いたクラブであった。高専柔道とは戦前に行われていた、高校専門学校柔道大会と、そこで行われていた柔道の総称で、その特徴は寝技中心の柔道であることだ。ルールも講道館とは違って、いきなり寝技に引き込むことが認められ、一本勝ち以外は全て引き分けとなってしまう。そのため日本柔道史上、最も高度に寝技が発達したのだ。三角絞めはこの高専柔道が創り出した技である。戦争によって一時行われなくなったが、戦後7つの旧帝国大学(北大、東北大、東大、名大、京大、大坂大、九州大)によって引き継がれ、現在でも毎年7月に七帝戦として、15人の勝ち抜きトーナメント戦が行われている。

中井 僕は寝技ではそう簡単には負けないと思ってたんですよ。でも全然かなわないんですよ。一年にしては、強烈に脇が固いと言われましたけどね。「亀」になったら鉄壁で、もう先輩がとれないんですよ。ああこういう引き分け方があるんだなと思いましたよ。「初っぱなから分けられたのはお前が初めてだ」なんて言われて。「ああ、これは俺のための柔道だ」と思って、どんどんのめり込みましたよ。高専柔道の特徴は、とにかく執念が凄いんですよ。素質のない奴らが白帯から始めて、寝技の柔道をやるんですよ。立ち技は全然知らないのに。寝技は実力差があっても引き分けられるんですよ。素質がない人が頑張れる柔道、なんか弱い人のためのグレイシーと似てますよね。(笑)普通の柔道とは全然違うから、誰も知らない超マイナーでしたけど。

 
生活はもう柔道一本?

中井 勉強はしなくなって、留年しました。その時まで勉強といえば、僕にとってマークシートを埋めることだったんです。でもそれは物を知ってるということとは別なんですよ。だから大学に入って、論文やレポートとなると全然ダメ。もう愕然としちゃったんですよ。「俺って何なんだ!」ってね。それで60年代のロックを聞き出したり、哲学書を読んだりするようになったんです。カミュとかニーチェ、ドストエフスキーなんかを。とにかくなんでも総合的に自分に取り入れなきゃだめだと思ってましたから。ちょうどその頃シューティングがプロ化したんですよ。それを本で知って、技術的にいろいろ出来る格闘技は他にないでしょ。自分の思想の盛り上がりと、シューティングのコンセプトがピッタリ重なったんですよ。だから将来俺はこれをやるしかないんだと思ったんです。大学は僕のいるべき場所じゃないと思ってましたけど、柔道をやるためだけに在籍していました。そして4年の時に、北大は七帝戦で優勝したんですよ。これで区切りはついたなと思って、退学届けを出したんです。2年間思いを温めていたシューティングをやるために。その後1ヶ月働いてお金を貯めてから、横浜ジムに入るために上京したんです。

 
なんで横浜ジムを選んだんですか?

中井 いやぁリストとか見ると、一番最初に載ってるじゃないですか。(笑)だからアテはなかったんですけど、もう頭ん中はシューティングやることしかありませんでしたから。結局、ジムで花市場の住み込みの仕事を紹介してもらったんですよ。デビューは入門してから8ヶ月後でした。

 
則次宏紀選手と対戦して、チキンウイング・アームロックで勝ったんですよね。

中井 僕はしつこいぐらい、アレは腕搦みだと言い続けているんですけどね。頼むからチキンウイングなんて書かないでくれと。それから腕ひしぎ逆十字固めっていうのも変ですよ。これはプロレス的な文法なんですよ。正十字というのがあるわけじゃないでしょ。腕ひしぎ十字固めでいいんです。十字逆という言い方はありますけどね。“逆”というのは関節技のことですから。

 
デビュー後は(シューティング)オープントーナメントに出場して、その後朝日さんとやったんですよね、朝日さんは寝技も得意ですよね。

中井 やっぱりシューティングにもこういう人はいるんだと思いました。下から取ってくるでしょ。嬉しかったですね。僕をボコボコにしてくれる人がいたんで。

 
そして今年。今年はいろいろありましたね。

中井 なんか風向きが、急にこっちに向いてきたみたいですね。まあグレイシーの影響なんですけど。

 
グレイシーを意識したのはいつからですか?

中井 バーリ・トゥード・ジャパンオープンからですね。グレイシーって高専柔道そっくりなんですよ。だからなぁんだと思って。これ俺のスタイルだなと。それまでのシューティングに対する認識っていうのは、打投極を全て均等に出来なきゃいけないと思ってましたから。でも例えば柔道の技を全部できなきゃ柔道いえじゃないかというと、そうじゃない。得意技が背負い技しかなくとも試合で勝てるんです。総合格闘技でも同じなんですよ。

 
高専柔道での得意技はなんだったんですか?

中井 返しからの抑え込みでしょうね。引き込まれたときは“絡みつき”。

 
えっ、噛みつくんですか?

中井 別に相手を歯で噛む分けじゃないんですけど、この“絡みつき”というのはグラウンドでは重要な技術なんですよ。アトゥ・カチャが僕を攻める時もこれ使ってたんですよ。じわーっと方で入って、脚を担ぐようにして内側から腕で巻き込むんです。そしてもう一方の足を、自分の足で絡むようにして、相手をコントロールするんですよ。こんなことせずに、バッと攻めてもいいんですけど、「足が利く」相手にはそれじゃ技はかからないんですよ。

 
足が利く?

中井 「足が利く」というのは、足を自在に動かして、足で相手をコントロールする技術をもっていることをいうんです。ディス・イズ・寝技ですよ。とにかくグレイシー柔術と高専柔道は、技術的にまったく同じです。ただ高専柔道は試合で亀が使えるんですよ。ただ亀になると面白くないんです。それに亀には負けないことは出来ても、勝つことは絶対出来ないんです。でもブラジリアン柔術はポイント制で、亀にバックを取ればビッグポイントになるでしょう。これが素晴らしい! 工房が進展しない膠着状況を作らせない試合形式を考え出したわけですから。これは僕にとって画期的なことでした。まさに目からウロコが落ちました。ただこれがバーリ・トゥードになると、僕は亀になってからの固さがあるんですよ。大学1、2年の頃の練習では、亀にさせられまくってましたから。だから僕はアトゥの攻めにも取られなかったんですよ。これがあの試合のポイントです。たぶんアトゥは1ラウンドで勝てると思ってたでしょう。

 
彼が中井さんの上になった時は、観客もみんな「やられた」という雰囲気になりましたからね。

中井 (爆笑)ほんと、ざまあみろですよ。亀が技術として確立されているということは、ほとんど理解されてないですからね。でも最初から亀を狙ってたんじゃないんですよ。アトゥが巧いから、亀にさせられたんですよ。僕は亀になるつもりなんて全然なかったんですから。亀になったのは、朝日さんとやったとき以来でした。

 
ところでアトゥ戦と草柳戦、どっちが嬉しかったですか?

中井 草柳戦ですね。未来に繋がっていくようなものを感じましたから。とにかく究極の寝技を見せたいですね。でも僕の使ってるのはシューティングの寝技ですよ。柔道の寝技じゃない。確かに高専柔道に大きな財産は貰ってます。でも極める技はシューティングの技です。高専柔道の経験は、技と技の連絡動作、技の繋ぎの動きに生きてるんですよ。

 確かに高専柔道の寝技のほうが、空間の密着度や体重のかけ方を重視したものだと思います。グレイシー柔術の強さも、それと同質のものですよね。

中井 そうなんです。でもこういう技術が注目されるなんて、以前は考えられなかったんですけどね。とにかくピターっとくっついていく。寝技ではこれが重要です。下になった時に上の相手を返すなんて、それ以前の初歩も初歩、当たり前のことですからね。

 でも寝技というものは、見るよりもやるほうが楽しめるものじゃないですか。だからバーリ・トゥードの成功は、見ただけでは判りにくい寝技の攻防に、スリリングさを加えてたことがポイントだと思います。

中井 そうですね。ブラジルへの柔術留学にも行ってみたいですね。柔術のトーナメントへ出てみるのも面白いし。

 高専柔道とグレイシーの対戦なんて、もう格闘技ロマンですね。ところで来年の目標はなんですか?

中井 総合格闘技の試合にこだわっていきます。寝技の強い人間が勝てる土壌が、総合格闘技にはあることを証明したいんです。そして本当に寝技ができる人が、もっとシューティングに参加して欲しいと思ってます。

 
個人的な目標は?

中井 来年は早い時期に川口さん、桜田さんの二人とやりたいですね。もちろん自信はありますよ。

■解説 / 若林太郎
 94年11月7日に行われた王座認定戦で、草柳和宏に判定勝利し、第3代ウェルター級王者になった直後に、格通で行われたインタビューです。当時はマスコミ関係者にでさえ高専柔道を知っている人間がいなかったこともあって、私にインタビュアーとして指名されての仕事でした。マスコミによる中井祐樹インタビューはこれが初。面識はあったものの、私が中井さんとじっくり話をしたのは、この時が初めてでした。
 「絡みつき」や「足が利く」といった表現を解説したのも、おそらくはこの記事が始めてで、そういう意味では歴史的なインタビューといえるでしょう。
 翌95年の目標を聞かれた中井さんが語った、「総合格闘技にこだわる」という思いがVTJ95への出場に繋がったのでしょう。
 最後に出てくる川口さん、桜田さんは、当時のライトヘビー級チャンピオン川口健次さんと、ミドル級チャンピオン桜田直樹さんです。当時は初代シューター全盛時代の末期で、修斗のトップに立つには初代に勝たなければという雰囲気がありました。 この言葉を受けてか、95年1月の後楽園大会ではメインでモーリス・ローミンペルを破った桜田さんに対し、中井さんがリング上から挑戦を表明するという一幕もありました。バリジャパでの負傷が無ければ、この年の修斗は中井さんの世代交代闘争が話題の中心となっていたかもしれません。ちなみにルミナが注目を集め始めるのは翌96年からのことです。


07.「ツアー参加者グレイシー柔術体験に一番乗り!
   体験して初めてわかったグレイシーの凄さ。」

 1994年 格闘技通信 掲載
 若林太郎 記名原稿

  格闘技界今年最大の話題という感じになってきたグレイシー柔術をデンバーで遂に体験した。
 体験セミナーが行われたのは、ツアー中日の3月11日。U大会当日の午前9時から12時の3時間に渡って行われた。
 このセミナーにはツアー参加者のほぼ全員が参加した。サンボ衣を着ている者がいるかと思えば、大道塾の道衣を着た参加者も。さすがは格通読者だ。
 セミナーの講師はホリオンを初め、ホイラー、そして今年80歳になるエリオも道衣を着て参加。木村政彦と闘ったエリオに直接指導して貰えるなんて!
 セミナーは、ヘッドロックへの対応、そのままグラウンドになった時の対応、馬乗りされた時にポジションを入れ替える方法、その後の展開という順番で進んでいった。
 その技術を実際に学んでみて思ったのは、グレイシー柔術は柔術というより極めて柔道的であるということだ。
 寝技を重視して技術体系の中軸に置いているあたり、古い形の柔道をイメージさせた。打撃への対応技術があることを除けば、おそらく戦前に行われていた高専柔道に非常に近いのではないだろうか。
 高専柔道とは、大正3年に京都帝大が『第1回全国高等学校専門学校柔道大会』を京都武徳殿で開催したことに始まる、高等学校および専門学校の対抗戦である。
 高専柔道の特徴は、絞め技、関節技を中心に寝技を高度にハッテンさせたスタイルにある。その中には足搦み(膝関節を極める技)、足挫き(アキレス腱固め)、足の大逆(膝十字固め)や、腕を逆に極めたまま背負い投げで投げる“十字背負い”(結局此の技は試合では使われなかったらしい。)などというビックリするような技が見られる。
 その中でも特に三角絞め(当時は三角緘み、三角逆とも呼ばれた)は、高専柔道の最大の発明といえるだろう。エリオを破った木村政彦も高専柔道出身である。
 技術的には柔道的だと感じたグレイシー一家だが、柔術に対する取り組み方は、非常に柔術的であった。流派を興した創始者の子供達が、幼い頃より生活の一部として柔術を学び、流派を守っていく。これはまさに日本柔術の伝承スタイルそのものである。
 チョークスリーパーには力が必要ないことを証明するために、見事な技を披露してくれたホリオンの子供は、まだ小学校低学年ぐらいに見えた。そんな子供が確実にチョークスリーパーを体得しているのである。グレイシーの強さの秘密はここにある。

■解説 / 若林太郎
 94年3月に行われた第2回UFCでのグレイシー・セミナーを格通でレポートしたもの。同大会には大道塾の市原海樹が出場したこともあって、マスコミやファンが大挙してツアーに参加。それもあって日本人向けのセミナーが実現したもの。
 もまだこの時点では中井さんとは出会っておらず、七帝柔道の存在も知らなかったから、会場で「これって高専柔道じゃん!」と一人で興奮していた。他に高専柔道を知る参加者はおらず、当時格通編集長だった谷川貞治氏や夢枕獏さんに興奮しながら説明していた気がする。
 上記のレポートでもセミナー自体よりも、高専柔道の説明に字数を割いているのが、当時の興奮ぶりをあらわしている。

  • 自ら参加者に首を絞めさせるエリオ。本当に極まっていないとOKしない。武道家だ!
  • 平(直行)が首を極めにいっても、ホリオンは涼しい顔。平曰く「これ極まってるんですけど…」
  • 第3回U大会出場が噂される平とホイラーのスパーリングが実現。これが見られただけでもツアー参加者は得をした。
  • 最初は見学していた夢枕獏さんも思わず参加。何度も動きを確かめていた。
  • チョークに力が必要ないことを実証するため、ホリオンは息子に技をかけさせた。ちなみに受けはグラップラー刃牙の板垣恵介氏。

 写真に付けられたこれらのキャプションを読んでいただければ、セミナー自体の雰囲気もお分かりいただけるだろうか。

2003/10/21 UP

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